「それは
虎になった李徴(りちょう)とその友を思う袁傪(えんさん)。
この話は1時間ほどで読める短い小説だけに、教科書などでも頻繁に取り上げられています。
自意識が強すぎるがゆえに苦しんだエリートの葛藤
そのためか
人として生きることを止めれば苦しさから解放される。
苦しみのないトラとして生きた方がしあわせだと考える李徴。
自分として生きることを放棄したとも感じられる李徴の言葉。
ただ、最後に袁傪に見せた強い自意識の姿「醜い姿」というのは
本当に醜かったのでしょうか?
誰もが持つ自意識ではありますが、それをコントロールできなかったと嘆く李徴のその姿を
袁傪は本当に醜いと思ったのでしょうか?